2011年12月10日

小さな巨人

Readerに登録してたサイトに興味深いコラムが。
玉乃が菅野について書いたもの。
なかなか読みごたえあるんだが、サイトには現時点で掲載されてないみたい。
なんでかな?

スゲはホント最後まで練習してて、サインもらうのに随分待たされたっけ。
しんよこFPのファンサエリアに最後数人になって、待てども待てども来なくて。
遂にキターッと思って、ウチの子達がFカードくださいっ言っても、いつも持ってねーし。
でも、サッカー教室とかは率先して盛り上げてくれるホントいい奴だった。
今でも我が家全員で応援してますよ。

当然明日のゲームは楽しみにしとります。
相手は超攻撃的なチームらしいし、菅野らしさを存分に見せてくれるんじゃ。
初戦も録画で見たけど、あれくらいはやるでしょって感じで。
都並と城が解説だったんだし、もっと菅野のことを語って欲しかったなあ。

しかし、ヴェルディでトップに上がってたら・・・
いろんなことが変わってたな。

そんなことで。



玉乃淳のたまに裏の話「小さな巨人の逆襲〜菅野孝憲」
ソース: サッカーナビ SOCCER NAVI 11/12/09

「俺、サッカーやめようと思う…」

 そう呟くスゲの後ろ姿に心を痛めたことを遠い昔に思い出す。当時ヴェルディユースで、誰もがその才能を認めていたが、身長が低いことを理由にトップチームへの昇格を監督やGMが拒んだのである。菅野の凄さを小学校の頃から身近に目の当たりにしてきたチームメイトは、ただ信じられないといった様子で立ち尽くすしかなかった。今思うと若気の至りで、出しゃばった真似をしたと反省しているのだが、トップチームの監督を務めていたロリを練習後に呼びだし理由を聞きにいったことがある。

「なぜあんなに凄いキーパーをトップチームに昇格させないの?」
 そう興奮気味に問いただしたことを思い出す。彼は一言、遠い目線で即答した。

「バレーのような大柄の選手と競り合ったらどうなる?」 

 僕は返す言葉がなく、ただその場所を立ち去った。しかし、その答えが数年後に分かることになるとは、その時は想像もできなかった。

 なんとかプロとしてのキャリアを横浜FCでスタートさせることになったのだが、ここでも先天性の問題が彼に襲いかかる。抜群のプレーを披露するも、「小柄であること」を理由にシーズン当初はベンチをあたためるどころか、プロ選手になったのにも関わらず、洗濯やボール拾いなどの雑務をこなす毎日。他の同期生のJ1での活躍を横目に、精神が蝕まれる日々が続いた。

「今シーズン、このままレギュラーを取れなかったらサッカーをやめる…」

 常に世界を見据えている男だからこそ、そう思うのであろう。いつも明るく前向きな性格の彼だが、人生2度目の心の悲痛を言葉に吐き出した。

 フィールドプレーヤーとゴールキーパーでは全く別の競技と言っていい程、僕にはキーパーのことはよく分からない。ただ菅野のことを解説するとしたら、点を取られる所を昔からあまり見たことがないという、簡単な解説ぐらいはできる。小学校4年生から一緒のチームでプレーしてきたが、中学三年生になるまでペナルティーエリア外からのシュートでの失点は記憶にない。

 一年目のシーズン途中には、凄まじいまでの忍耐力と謙虚さで徐々に信頼を勝ち取り、レギュラーの座を掴んだのである。しかし、J2横浜FCでレギュラーを取ってからの菅野の状況は、これまでほとんど失点のなかったユース時代までとは一転した。

 J2でも晩年下位に位置する横浜FCの守護神となって待ち受けていたのはシュートの雨霰である。時には雨のように降ってくるシュートに心を引きちぎられ、霰のように降り注ぐシュートにこの世の終わりを見た。

 真面目過ぎる性格から、他人のせいにすることができず、一人孤独に悩み、絶えしのいでいた。しかし、信じられない程の失点数にプライドを引き裂かれながらも、自分を信じ、歩みを止めることはしなかった。小、中学時代は埼玉の実家から稲城のヴェルディグラウンドまで2時間はかかったが、365日終電ぎりぎりになるまで、雨の日も雪の日も居残り練習を続けた。それはプロになってからも何も変わらない。

 ある時は体脂肪の管理を徹底しすぎ、練習前に貧血で倒れた。その時も何食わぬ顔をして練習に参加していた。想像を絶する節制や体のメンテナンスに周囲は心配する程であった。強面な風貌とは裏腹に、非常に繊細で、シュートコースやポジショニングをチームメイトと共に、一ミリ単位にこだわり、日々ノートにまとめ、自分の失点シーンや反省点を客観的に見つめつづけてきた。ストライカーが点を取る度に自信をつけ、成長するのと同じように、失点の数が彼を成長させたといっても過言ではないだろう。

 こうして彼の日々の成長に比例するようにチームも成長していった。あれほど失点の多かった横浜FCを堅守な守備で昇格させ、昨シーズンはJ2柏レイソルでも優勝に導き、今年は安定した守備でJ1優勝という快挙に大きく貢献し、ベストプレーヤー賞にも輝いた。尋常でない努力の積み重ねと、チームのことを常に第一に考える犠牲心が、このシンデレラストーリーを作ったに違いない。

 彼が目指す日本代表のレギュラーや、世界でプレーするという夢がいよいよ現実味を帯びてきた。この地を這うような下積み時代から、現在の状況を見れば、彼の将来が容易に想像できるであろう。

「なぜあんなに凄いキーパーを日本代表に呼ばないの?」
10年前と同じ考えが頭をよぎる…

「バレーのような大柄の選手と競り合ったらどうなる?」

「チーム一体となって完封する…」

10年の時を経た今、彼はこう即答するだろう。

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◆玉乃 淳(たまの じゅん)
小学生からヴェルディ下部組織で育ち、1999年にヴェルディジュニアユースが出場した「ナイキプレミアカップ」でのプレーが認められ、同年-2002年アトレティコ・マドリーのユースチームに加入。2002 年に帰国しヴェルディユース所属ながら東京ヴェルディ1969チップチームに2種選手として登録された。2002年9月18日の東京ダービーで途中起用されJリーグデビュー。

◆関連リンク 「玉乃淳の元気玉」

posted by yoneza at 19:15| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | yokohama_FC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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